2015年8月31日月曜日

リエンツ行きをあきらめ、インスブルックで宿を取る

旧市街のシンボルの黄金の小屋根
皇弟マキシミリアンⅠ世が騎士の馬上試合を
観戦するため改築

8/8(土)☀ 
7:05発の電車に乗る。ヴェローナでインスブルック行きに乗り換えフォルツッサで下車する。山中の駅であり駅周辺には殆ど建物はなく、少々さみしい所である。リエンツ方面行きローカル電車に乗る。この路線は単線、のぞかな田舎の村々を走りドビアーコに到着。未だ時間が早いので、ここで途中下車。この街はドロミテ・アルプスのベースの街である。3年前ここに宿泊しドロミテ・アルプスへ行ったことがある。駅前は何もなく閑散とした無人駅である。
ドビアーコの風景
駅を出て右に道を辿るとメイン通りにぶつかる。右手の踏み切りを渡り両側のホテル、レストランを見ながら、しばらく歩くと、タマネギ状の塔を持った教会のある街の中心に出る。この辺りで昼食を食べようとしたが、ちょうどフェスタの時間(12:0015:00まで)で殆どのお店が閉っていた。駅の近くのバーが開いていたので、そこで軽い昼食をとった。時間になったので駅に行きリエンツ行きの電車を待つ。しばらくすると14:30の電車が入ってきた。SL風の電車で、「え、これに乗るのか、良い感じだなあ」なんて思っていたら、電車は止まらずそのまます通りしてしまった。近くにいる人に尋ねるが、今一つはっきりしない。時刻表で確認してみると、14:30の電車はどうも土日は止まらないようである。再びリエンツ方面の電車が入線してきたが、次ぎの駅止まり。「さあどうしようか、さらに電車を待つとなると遅くなるし、初めての所で泊まる所が心配だし...」てな事を考えていると、インスブルック行きの電車が入ってきた。インスブルックだと街は大きいし、遅くついてもホテルは取れるだろうと思い、予定を大幅に変更しインスブルックに行くことにした。
マリア・テレジア通りを真っ直ぐ進むと旧市街
後方の山はノルトケッテ 
かなりショックで相当落ち込むは、おまけに電車はクーラーはきかず暑くてまいってしまった。フォルツッサから乗ってきたおじいさんが、僕の前の席に座り、話しかけてきた。日本には2度行った事があり、現在はインスブルックに住んでいると言う。どこへ行くのかと聞かれたので、実はしかじかてな調子で話をする。おじいさんとおしゃべりをする事により、気分はだいぶ晴れてきた。
イン橋を渡った反対側から見た旧市街
ブレンナー峠を超えオーストリアに入り、インスブルックには17:00に到着した。適当な安ホテルを探し始める。2つ星で、バスなし400シリング、部屋もきれいであったので、ここに泊まる事にした。明日は早いので先にホテル代の支払いを済ます。「朝食は部屋に運びましょうか」と聞かれたのでお願いした。
取り合えず、旧市街の方へ行ってみる。狭い通りの両側には、土産物屋、レストランが軒を連ねており、観光客で一杯である。当てもなくイン河を渡る。ロープウェイ乗り場の看板があったので、そちらの方へ行ってみる。狭い路地を上がって行くと教会があり、そこから坂道を上って行ったが中々現れなかったので、途中で引き返す事にした。明日は、リエンツからハイリンゲンブルートまで一気に行く予定であり、早起きをしなければと早めに寝た。

2015年8月26日水曜日

天を突く大迫力のドゥオーモに度肝を抜かれる

ミラノのシンボル ドゥオーモ(大聖堂)
135本の尖塔、2245体の彫刻、気が遠くなる程の数

8/6水)香港を経由してパリへ
成田空港は人でごった返しの状態であった。HISカウンタでチケットを受け取りチェックインを済ます。香港からの便が遅れ、30分遅れの18:30に出発した。香港までは3時間30分の飛行で定刻21:35に着。空港は新設されていて、昔のように市街の真上を飛んでない。安全性が高まったが、市街地の間近をスレスレに飛ぶスリル感、景色は犠牲になってしまっている。
8/7(木) 翌朝の朝6:30、パリ・シャルルドゴール空港に到着
 大勢の乗客が行き交うパリ・リヨン駅
イタリア、南フランス方面へのTGV発着地
入国はパスポートを見せるだけ、何も聞かれなくフリーパスである。荷物受け取りのゲート番号が表示されている。荷物を引き取り、電車乗り場の標識に従って歩いて行くとRER乗り場があった。RERはフランス国鉄(SNCF)が運営する高速郊外鉄道、以前は乗り入れていなかったが、便利になったもんだ。ところがチケットをどこで買うのかわからず、付近をうろうろした。何の事はない、一旦外に出ないとチケットカウンタがなかったのである。
RERでNord駅、地下鉄に乗り換えリヨン駅へ出る。ユーロパスのバリディティ・スタンプを押してもらい、11:12発ミラノ行きTGVの座席予約をする。11:12発のTGVはかなり混んでおり、4人がけの座席は満席で少々窮屈である。車窓風景は穀倉地帯が延々と続く、フランスは農業国だなと思った。イタリアとの国境近くで山中に入る。
全長158m、幅93m、高さが108m、世界最大のゴシック建築
6時間30分かかり、ようやくミラノに到着。駅構内は人でごった返しの状態でうんざりする。前も泊まった駅前のホテルにチェックイン。前よりは2万リラ値上がりしていた。 バスに浸かり体を休めた後、ドゥオーモ(大聖堂)を見に行く。19:30になっているが、外はまだまだ明るい。ちょうどドゥーモ正面に日が当り、写真撮影にはもってこいである。それにしてもでかい、たくさんの尖塔が天を突くかのように聳え立っている。声が出ない程、圧倒される。近くで見上げると、精巧な彫刻があちこちにある。権力の象徴として作られたのか?500年の歳月をかけ、良く造ったものだと呆れるや感心するやである。これだけでも見れ大満足である。
夕食はホテルの傍にあったレストランに入った。バイキング形式で自由に選べる。さんざん迷った挙げ句ピザを頼んだ。目の前にはいくつかの具が並べられ、自分の好みの具を頼めば、それを加えて焼いてくれる仕組みだ。見た目はうまそうに見えたが、味は粉ぽっくてうまくなかった。明日はフィレンツェへ行く予定であったが、ミラノの騒がしさに嫌気がさした。やはり都会は性に合わない。予定を繰り上げてリエンツへ向かう事にした。

オーストリアアルプスとスイスの村~プロローグ

夏は、欧羅巴アルプスのトレッキングと決めている。今回はオーストリア・アルプスの最高峰グロスグロックナー地域のトレッキングを楽しむ。さらに、足を伸ばし新田次郎の「アルプスの谷・アルプスの村」に描かれているソーリオ村を訪ねる。どちらも以前から行きたいと思っていた地、期待に胸ときめく。旅はパリ、ミラノから始まりオーストリア・アルプスの山懐へ入っていく....
コースマップ】

【コース日程】1998.8.6-8.17
8/6  (木)成田(18:00)→香港(21:30 23:35)→パリ・シャルルドゴール空港(6:15+1)
8/7  (金)パリ・リヨン(11:12)→ミラノ(17:55)
8/8  (土)ミラノ(7:05)→ヴェローナ(8:30 8:58)→フォルテッサ(11:10 11:33)→ドビアーコ(12:39 14:30)→インスブルック(17:00)
8/9  (日)インスブルック(7:07)→リエンツ(10:21)
8/10(月)リエンツ(8:20)→ハイリンゲンブルート(11:25)   
  フランツ•ヨーゼフスヘーエ(12:25)~サンダー湖(13:25)~ハイリンゲンブルート(17:05)
8/11(火)ハイリンゲンブルート(9:22)→フランツ•ヨーゼフスヘーエ(10:30 11:45)
    →ツェルアムゼー(13:40 14:24)→ザルツブルク(16:40)
8/12(水)ザルツブルク(6:23)→ランデック(9:32 9:40)→シュクオール(11:40 12:50)
    →サンモリッツ(14:18)
8/13(木)サンモリッツ(7:38)→ソーリオ(8:50 11:05)
       →マロヤ(11:30 12:30)~シルスマリア(14:35 15:20)→サンモリッツ
8/14(金)サンモリッツ(8:00)→サンクト•ガートン(12:0312:07)→ アッペンツール(13:50)
8/15(土)アッペンツール(6:01)→ゴーサウ(7:11)→ローザンヌ(9:35 16:24)
              →パリリヨン駅(16:26)
8/16(日)パリ(13:50) →香港(7:30 9:55)→成田(14:55+1)

【通貨】Lira=0.085円、Shilling=10円、SF=97
【航空会社】キャセイ航空  HIS
【ホテル】予約なし、現地で探す
【鉄道パス】ユーレイルパス 5/ 1
【旅行保険】損保ジャパン
【旅の目的】
 1)オーストリア・アルプスの最高峰グロスグロックナー地域のトレッキング
 2)スイス・エンガディン地方の小さな村々を歩く 
【旅の情報】
 1)地球の歩き方 スイス オーストリア
 2)オーストリア・ハイキング案内 山と渓谷社 小口和利
 3)アルプスの谷・アルプスの村 新田次郎

2015年8月23日日曜日

クロアチア・スロヴェニア紀行〜エピローグ

訪れた街の印象
ザグレブ ★★★★
旅の起点となり、今回の旅では3回訪問。新旧の街並がうまく溶合った雰囲気の良い街である。中央駅からの景観には驚かされる。2つの大通りが旧市街に向けて平行して走り、両脇には19世紀の立派な建物がひしめく。真ん中には良く整備された緑地、季節の花々が実に美しい。旧市街へ散歩がてら歩いて行くのが実に楽しくなる。旧市街は丘の上に広がっており、狭い横道は小さな広場、美しいモザイクの屋根の聖マルコ教会等、見所が一杯だ。街自体はそれ程広くはないので、半日もあれば主要な所は見て回れる。大都会とは思えない程、緑豊かでお気に入りの街の1つとなった。
ドブロヴェニク ★★★★
ずっと訪れたかった憧れの地、期待にたがわず素晴らしかった。特に、飛行機から見た真っ青なアドリア海とドブロヴェニク旧市街の絶景は圧巻である。旧市街の街並はイタリア風、奇麗であるが見慣れた風景だ。スルジ山へ向かった中腹からの旧市街の景色は、今でも目に浮かぶ。アドリア海に浮かぶオレンジ色の街並が一望、海に浮かぶ要塞都市、絶対にお奨めである(本当はスルジ山からが良いのだが、戦争の爪痕でロープウェイが動いていなかった)。
スプリット ★★★★
ドブロヴェニクからバスで往復9時間の長旅、移動時間で疲れてしまったが、想像以上に奇麗な街で感激。ローマ皇帝の宮殿だった事もあり、イタリアの街並に似ている。古代ローマの遺跡や石畳の路地を歩き回り、旧市街の外にある青空市場を覗き、 海外線を走るプロムナードをそぞろ歩きが実に楽しかった。
プリトヴィッツェ湖沼群国立公園 ★★★★
山間から流れ出る川とせき止められて出来た大小の滝、まるで棚田のような景観は、期待に違わぬ美しさであった。その中を走る木道散歩は、間近で滝を見る事ができ楽しい。水の色の透明度が半端でない。1日目は上流、2日目は下流の滝を歩いたが、迫力は下流の方が良い。上流は日本の風景に似ており、軽井沢の白糸の滝を思い出してしまった。崖の上に登ったエメラルドグリーンの湖と川、地肌の白い石灰岩の崖、多数の滝を蛇行する木道の景色は息をのむ程であった。
リュブリャーノ ★★
中継地として訪れた街で、特に期待はしていなかった。天気が悪く、ホテルも空調音がうるさく、良いイメージを残さなかった。
ブレッド湖 ★★★★
今回で2回目の訪問。前回は宿泊しなかった。今回はゆっくり観光しようと湖畔ホテルに宿泊。しかし、無情にも天気は最悪、どしゃぶりの雨。それでも、ブレッド城から見下ろすブレッド湖の幻想的な眺めは、いつまで見ていても見飽きない程素晴らしかった。雨降る中を、歩いて登っただけの甲斐はある。ブレッド湖へのアクセスは、山間鉄道のブレッド湖駅から入るのがお奨めだ。又、訪れたい街である。反対側の山の中腹からの景観、湖の教会にも行ってみたい…。
シャコフヤ・ロカ ★★★★
期待した通りの街、こういう小さな田舎街は性に合っている。街の中を歩いたり、緑に周囲を囲まれ、真ん中を走る川沿いの遊歩道をそぞろ歩きが実に楽しかった。観光ずれしてなく、静かな時を過ごすにはうってつけである。

2015年8月22日土曜日

成田で荷物が出てこない!!

5/8(土) 旅の最終日
スロヴェニアのお土産 ガラス製品と羽目板
7:00に起床、ぐっすり眠れた。窓を開けると、心地良い涼風と小鳥の鳴き声が聴こえてくる、何とも長閑な早朝である。7:40、中庭が見える席でシンプルな朝食を取る。飛行機は12:40、未だ十分時間があるが、曇り空で外出する気にならず部屋で日記を書いて過ごす。
今回の旅、前半は天気が良かったが、後半は天気が安定せず曇り、雨の日が多かった。特に、期待していたブレッド湖では土砂降りの雨でがっかりだった。雨も風情があって良いなんて云う人もいるが、アウトドア派の小生はギラギラ照りつける太陽と真っ青な青空の方が望ましい。それにしても、クロアチアからスロヴェニアへの入国の厳しさは凄かった。日本人でも、パスポートが偽者なのか虫眼鏡チェック、その後ヘッドセットのマイクでセンターへ連絡し、これ程の厳重な検査は初めてでドキドキしてしまった。EU圏への不労労働者が多いのだろう、2人電車から降ろされ連行されたには本当に驚いた(クロアチアは最近、EU圏に加盟したが、今も厳しいチェック続いているのであろうか)。
パリを経由して日本へ
9:40,チェックアウトしバス・ステーションまで歩いて行く。ちょうど、10時のバスが出る所であった。エアーフランスのチェックイン・カウンタは長蛇の列、毎度の事ながらうんざりする。パリ・シャルルドゴール空港はハブ空港だけあって、飛んでもなく広い。ザグレブからの飛行機は定刻14:55,T2に降り立った。外で待つバスでターミナルに行き、そこから巡回バスでT1へ行くまで1時間近くかかってしまった。パリではなく、フランクフルトかミュンヘン経由にすれば良かった。成田への飛行は順調で予定通りに到着。
さあ、荷物を受け取ってさっさと帰ろう。ところが、いつまで待っても荷物が出て来ない。気がつくと辺りには誰もいなくなっている。まったく、ANAはこれで2度目である。前回のようにトランジット時間に余裕がなかった訳でないのに、どこでどうミスったのだろう。まあ、往路でなかった点が気休めであるが。気を取り直し、Baggege Clameカウンタで手続きする。
*1週間後、ANAから電話連絡は入り荷物を送付して頂いた

軍楽隊や銃剣を捧げた兵隊の列を遠目から見学〜ザグレブ

5/7(金 リュビリャーノで寄り道後、ザグレブへ
カラフルな屋根が印象的な聖マルコ教会
旅も残り1日、今日はリュビリーナから国境を越えてクロアチアのザグレブに戻る。
8時に朝食ルームへ行くと、4人連れの家族が既に食事を終え、歓談中。オーナーが云うには、チェコから来たファミリーだそうだ。たっぷりの朝食を取った後、散歩に出かける。城から旧市街をぶらっと回った後、ホテルに戻りチェックアウト。リュビリャーノに戻るには時間が未だ早いので、荷物を預かってもらう。ルームキーは、「私のワイフがやっている隣のブックストアに返して下さい」と言われた。旧市街広場の噴水前のベンチに座って、日記を書いていると、隣に老人が座った。だまって通りを歩く人々を観察している。通りで遊んでいる子供等を見ると、優しい目で微笑みかける。 日がな1日、こうやって過ごしているのかな、少し人生の悲哀を感じてしまった。ホテルから荷物を出した後、隣接したブックショップにキーを返却する。
リュビリーナ川沿いから子供等の歓声が聞こえる
舞台の上で繰り広げられる子供等の寸劇
カラフルなガラス製品を売るお店
蝋燭立てをお土産に購入
11:10のバスでリュビリーナに戻る。駅構内の国際電車カウンターでザグレブ行きの2等チケットを購入。出発は14:48発、3時間近くあるので旧市街をぶらぶらする事に。三本橋を渡った北側には、ガラス製品を売るショップが並んでいる。2軒ある内の女性が出しているお店で蝋燭立てをお土産に購入する。反対側から子供等の楽しそうな声が聞こえてきたので行ってみる事。川沿いの狭い遊歩道沿いには、たくたんの露店が出ており賑わっている。奥のステージでは、子供等が楽しそうにダンスに興じている。その後、寸劇が始まった。手作りの王冠を冠った少女がヒロインのようだが、当たり前だが何の演目かは皆目わからない。舞台裏では、母親等が心配そうに我が子等の演技を見ている。奥の通りでは子供等が伝統菓子や果物がバザール。通りがけると、少女に菓子を勧められたが、手を振って断る(買ってあげればよかったかな)。子供等のバザールなのだろうか…。時間になったので駅へ戻るが、途中で道がわからなくなり少々焦った。どこも似たような建物で、ちょっと脇道に入ると道をロストしてしまう。こんな事、度々やってしまっているが、学習能力ないなあと反省。
ベログラード行きの国際電車(ユーロ)は、週末でもありとても混雑していた。それでも何とかコンパートメントに空席を見つけ座る事ができた。Dovovaと云う街で出国検査し、クロアチアへ入国。スロヴェニアからクロアチアへの入国検査では、逆コースが厳しかったので、少し構えていたのだがあっけないくらい簡単な手続きで終了。ユーロ圏であるスロヴェニアへ、クロアチアからの不法労働者が多いのだろうか。まあ、簡単に済んで良かったのだが、出るときと入るときのギャップは相当な物である。ザグレブには定刻の17:10着、電車の降り口は人の渦、もの凄い混雑で降りるのに一苦労である。
中庭のあるホテル・ペンション
歴史博物会館前で繰り広げられるセレモニー
今晩の宿は、旧市街のイリツァ通りから少し入った所にあるホテル・ペンション。駅からは歩いて約20分、思いザックを背負いながらホテルへ急ぐ。中庭があり、感じ良さそうなホテルである。2Fの受付でチェックインを済ませ、部屋へ向かう。真ん中に大きなダブルベッドがあるシンプルな屋根裏部屋で、床を歩くとミシミシ音が鳴る。
裏の階段を登り、聖マルコ広場に行く。ケーブルカーもあるが、さしたる距離ではなく歩いた方が気持ち良い。広場正面に建つ聖マルコ教会が一際目立つが、モザイク屋根でなかったら、どうとない教会である。屋根の上のクロアチア王国とザグレブ市の紋章が結構目立つ。この紋章は最初はなかったが、1880年の改築時に加えられたと云う。
ランドマークの聖母被聖天大聖堂
左手の歴史博物館前には、軍楽隊や銃剣を捧げた兵隊等が整列中、手前には厳つい警護官(シークレットサービス)が目を光らしている。何やら物々しい雰囲気である。一体何が始まるのか、興味津々で遠目から眺めていると、建物から男女が現れた。そこへ、教会横手から現れた黒塗りの車が入ってきて赤いカーペット前に停まる。先程の男女が出迎え、軍楽隊が演奏する中を車から降りたVIPが博物館の中へ消えて行った。それでセレモニーは終了。何のセレモニーか良くわからなかったが、旅の最後にこういうのを見れラッキーだった。
豪華な夕食を考えていたが面倒になり、イェラッチ広場で見つけたベーカリーショップでピザをホテルの部屋で食べて終わり。最後の夜なのに、何とも味気ない晩餐となってしまった。

2015年8月20日木曜日

渓谷沿いの静かな中世の街シュコフヤ・ロカへ

5/6(木)☂ ブレッド湖からリュブリャナを経てシュコフヤ・ロカへ
セルシュチツァ川に架かるカプチン橋
5時目が覚める、昨夜は雷と激しい雨が降り、ちょっとした嵐の様相であった。今朝も相変わらず天気は悪い。スロヴェニアに入ってからずっとぐずついた天気が続き、うんざりである。7時に朝食を食べる、3つ星にしてはシンプルな朝食である。今日はリュブリャナに戻り、バスで中世の面影が色濃く残る小さな田舎町シュコフヤ・ロカへ向かう。9:30にチェックアウトし、10:30発の電車でリュビリャーナに向かう。運賃は6.3€、1時間15分でリュビリャーノ駅に到着。駅前のバスステーションで、シュコフヤ・ロカ行きの時刻を聞くと12:20発があったので、チケットを購入する(3.1€)。チケット売り場のおばさんに、時刻を2回確認すると、怒ったようにどなられてしまった。まったく、どならなくても良いのに、感じ悪いおばはんである。ユーロ圏に入ってから、スロヴェニアの物価は上がったようだが、日本に較べるとまだまだ安い。特に、公共運賃の安さは魅力的である。
旧市街へ通じる坂道にて
城壁の外側に城へ通じる坂道がある
リュビリャーノを離れると、一気にのどかな田舎風景が続く。シュコフヤ・ロカ鉄道駅を過ぎると、オレンジの屋根の街並と丘の上に建つシュコフヤ・ロカ城が見えてくる、バスステーションに12:55に到着。予約したホテルはバスステーションの裏手、セルシュチツァ川沿いにある建物で直ぐにわかった。ところが、ドアが閉まっている。隣接した同名の文具店に入り、「隣のホテルを予約しているが、ドアが閉まっており困っている」と事情を説明すると、電話でオーナーを呼んでくれる事に。しばらく待つと、アイリッシュぽい30~40代の男性がやってきた。この人がオーナーのようだ。ホテルに入ると、Welcome Drinkをふるまわれた。キルシュと云う、ちょっとキツイ飲み物であるが、オーナー曰くエネルギーが湧くそうだ。部屋は中庭を抜けた2Fにあり、ダブルベッドに2段ベッドもある広々とした部屋、オレンジ色の色調で落ち着く部屋である。ただ、川沿いの部屋ではなく外の景色はあまり期待できそうもない。時折晴れ間が見え、天気は回復傾向だ。
カメラの電池が残り少なくなってきている。予備の電池はなく、バッテリーチャージャも持ってきてないので、節約せねば…。
雨も上がり、時折日も指してきた、天気は回復方向である。まずは丘の上に建つ城へ行ってみる事に。カプチン橋を渡り、道なりに坂道を登っていき、シュコフヤ・ロカ城に到着。城の城壁は、1511年の地震で全壊したのを修復、再建されたもの。現在、城は博物館となっている。エントランス前は東屋もある緑の公園で、城の全景を観る事ができる。外観は、城と云うより修道院、城館のような感じである。入城料(4€)を払って中へ入ると、街の歴史や民族文化、考古学、鳥獣の剥製が展示されているが、戦時中の写真等が興味深い。シュコフヤ・ロカは旧市街を流れる川に沿って、北西にスタラー・ロカ、南東にはプシュタル地区が広がっている。各々、独自の城と教会を構えている。城からは、オレンジ屋根の旧市街や2つの地区、さらには周囲に広がる緑豊かな丘陵地帯を見渡す事ができる。緑豊かな自然に中にポツンと街が造られた事が良くわかる。
最古の地区スタラーロカを遠望 聖ユーロ教会の高い塔が目立つ
朝靄の聖十字架教会 プシュタル地区

旧市街広場には、市の紋章のある噴水と
聖母マリア像と2聖人像が建つ

次にどこ行こうか迷った末、スタラー・ロカへ行って見る事に。城壁に沿った坂道を下り、カプチン橋を渡った先の遊歩道に沿ってスタラー・ロカ方面へ歩いて行く。緑があって気持ち良い遊歩道である。スタラー・ロカ城はあいにく修復作業中で城の全容を見れずがっかりだ。街もさして見るべく所はなく、聖ユーリ教会で引き返す事に。プシュタル地区にも行って見たい気はしたが、歩き疲れたのでホテルに戻る。
19時頃、夕食を食べに出かける。再び雨が降っており、気温も下がり外は非常に寒い。オーナーお奨めのレストランを探すが、それらしき建物が見つからない。寒くなったので、適当に見つかったレストランへ入った。歴史ある建物の地下にあるレストラン「Kasca」は、落ち着いた空間で中々良さそうだ。しかし、ディナータイムなのに、お客は誰もいなく少々不安も感じる。魚料理を食べたかったが、メニューにはなく、お奨めの肉料理とスープを注文。野菜はサラダバーから自由に取って食べる。海外旅行では、どうしても野菜が不足がちになるので、この際にと大量に盛る。最初にガーリックスープ、寒い体を心から暖めてくれた。メインの肉料理は、ミンチ肉3本とアスパラに、茹でたポテトが添えら
れている。香辛料がきついミンチ肉は独特な味で口に合わない。それでも何とか2本は平らげたが、1本は残してしまった。食事中も、お客が入ってくる気配はなく、あまり盛っていないのかなと思ったりした。最後にコーヒを飲み、料金は28.7€とかなり高めだった。
後日、わかった事だが、
・郷土料理が中心のお店、地球の歩き方に載っていた
・ホテルのオーナー曰く、Kascaは観光客目当てで高い