2015年11月12日木曜日

サンクト・ガーレン行き電車がなく少々焦る

セーヌ対岸から観たノータルダム寺院
8/15(土)☀  
目が覚めると5:30今日はローザンヌ経由でパリまで出ねばならず、TGVに乗り遅れたらと大いに焦った。あわてて支度を済ませ、駅へ急ぐ。時刻表を確認すると6:11発のサンクト・ガーレン行きは土日は走ってないようだ。駅員に確認すると、やはり走ってないと言う。反対方面の6:01発ゴーサウ行き電車が止まっている。これでもよさそうだったので、あわてて乗り込む。電車は牧草地の間を抜って走る。右手から真っ赤な朝日が登ってきて、絵もいえない美しさである。ゴーサウ駅前は閑散として何もない。予定通り7:11の電車に乗り込みローザンヌへ向かう。ローザンヌ駅でパリまでのTGVの座席予約をする。未だ時間があるので、街に出てみたが駅前も何もなく、つまらなかったので駅の売店でバケットサンドを購入し、ホームで昼食をとる。
中世は周囲を壁で囲まれた要塞都市だったと云う
観光地は人の渦でうんざりである
電車は25分前に来た。快適なTGVでパリ・リヨン駅に16:26定刻に到着。どのホテルにしようか、うろうろしていると変なやつに話しかけられた。無視し、ガイドブックに乗っていたホテルに逃げ込むような形で入った。結構高いが、最後の夜だからとここに決めた。地下鉄でシテ島へ行く。観光客がわんさか居てうんざりする。ノートルダム寺院の裏手の広場で、ミサのような儀式をやっていて、見物客でごった返しの状態であった。夕食はリヨン駅前のレストランに入った。サーモン・ステーキを食べた。ワインを頼もうとするが発音が悪いせいか、うまく通じない。違うウェイターが来てくれ、ようやくわかってくれた(ヴァインが正しい)
8/16(日) シャルル・ドゴール空港は広過ぎ、わかりずらい
7:30に起き、シャワーを浴びた後食事に行く。地下にあるレストランの壁はレンガ造りで洞窟のような感じだ。ちょっと早いが、8:30にチェックを済まし、空港へ向かう。空港は広過ぎ非常にわかりずらい。インフォメーションでキャセイ・カウンタを尋ねる。ホールAという。標識に従ってAへ行くが、ここもゲートがたくさんあり、よくわからない。再び案内に尋ねる。3H前からチェックインが始まった。

2015年11月2日月曜日

カラフルな壁画の家並みが可愛いアッペンツェール


8/14(金) 早朝サンモリッツ出立、サンクト・ガーレンを経てアッペンツェールへ
昨日も夜半、雷が轟いていた。7:15にホテルを出発し、朝靄で幻想的な美しさのサンモリッツ湖沿いを駅へ向かった。標高1,800m近くであり、朝はひんやりとするが朝焼けの風景は実にきれいだ。8:00の電車でクールへ、ここで電車を乗り換え、チューリッヒ経由ブリュッセル行きに乗る。乗ってから、この電車ではサンクト・ガートンには行かない事に気付き、あわてて途中の駅で降りる。直ぐにサンクト・ガーレン経由チューリッヒの電車が入ってきた。サンクト・ガーレンは思ったよりも大きな街であった。駅前は車の往来で騒がしく、あまり好きになれないなと感じた。

アッペンツェール行きの電車は1114番ホームにある。赤地に白線が帯状に色付けされた可愛い路面電車だ。電車は、街の中を走っていき、徐々に高度を上げていく。周囲は緑のアルプが一面に広がっている。小高い丘を登り下りしている内にアッペンツェールに到着した。駅前は閑散としている。駅を背にし真直ぐ歩いていくと、壁にユニークな装飾が施されたドイツ風の建物が目を引く。どこもかも可愛らしく、メルヘンチックな街並が素敵である。外観が気に入ったガストホフに入る。「今日、部屋開いてますか」「ダブルしか開いてない。1人なら、このホテルが空いていますよ」とホテルを紹介してもらった。紹介してもらったホテルへ行ってみる。街のメイン・ストリートのハウプト通りと本道が交差する場所である。1泊80SFと結構高いが、ここに泊まる事にした。明日は早いので朝食はいらないと言うと70SFにしてくれた。昼食が未だだったので、スーパーで食べ物を買い込み、ホテルに戻り食事をする。前もってホテル代を支払った後、散歩に出る。
ゆるやかなカーブのハウプト通りの両脇は、木組みの切妻屋根の建物が連なる。どの建物も様々な装飾が施され、さらにユニークな鉄細工の看板が花を添えとても華やかである。



通りを抜けると広場に出た。右手に道を辿りしばらく歩いて行き車道を横切り、細い道を登っていくと緑一面の牧場に出る。上から見ると、街は周囲を緑の小高い丘で囲まれているのが良くわかる。一旦下り、線路を横切り反対側の丘の方へ行ってみた。丘の緑の草原に腰を下ろし、しばらく景色を楽しんだ。ホテルへ戻りシャワーに浸かった後、夕食へ出かける。どこへ入ろうか迷った挙げ句、ガストホフのレストランへ入る。外の看板にかかっていたメニュー(定食)とグラスワインを頼んだ。スープ、サラダとメインがポークというセットで、味は取り立ててうまいという訳ではなかった。僕以外には4人連れの家族だけであった。この家族がぺちゃぺちゃと非常にうるさかった。(おそらく)イタリア人だと思うが、ワインを何杯もおかわりして、完全に酔っぱらっていた。教会近くを歩いていると、中から賛美歌が聞こえてきた。ドアが開いていたので、中へ入りしばらく歌を聴いていた。歌声が教会全体に響き渡り、荘厳な感じになる。ホテルへ戻ると、(案の定)玄関ドアは閉まっていた。ルームキーで開け、中に入る。明日はパリに戻らねばならない。結構遠いので6:00頃出発せねばならない。寝坊をしては大変と早めに就寝した。

2015年9月23日水曜日

深い谷間のソーリオ村へ

ポンダスカ氷河を挟んで、左手にシオーラ山群
右手にピッツ・パディーラの北壁
手前の集落がソーリオ村

8/13(木) 
7:00に起きる。外は薄い雲がかかっているが、山には朝日が当たり幻想的な美しさだ。今日は、新田次郎の「アルプスの谷アルプスの村」で知ったソーリオ村へ向かう。バスで2時間以上かかる、山奥の小さな山村であるが、「深い谷間とシオーラ山群の景色」、かなり楽しみである。少し下った所にあるPTTのバス停から7:28発のバスに乗る。空は青空もときおり見えるが、段々厚い雲に覆われてきており、悪くなりそうな気配だ。左手にシルヴァプラナ湖を見ながらバスは快適に進む。湖を過ぎ左折した場所から右手の景色は、朝の光を浴び絵のような美しさであった。シルス・マリア村を過ぎると再び湖が見えた。シルス湖だ。湖端に集落する村はマロヤ村である。ここから坂道を登り峠を超え,さらに谷間の奥へと入っていく。乗客は、途中の村で降りて行き段々減っていく。変化に富んだ道を長いこと走り、ようやく谷間の底の村プロモントーニュに到着。ここでバスを乗り換える。乗客は僕一人になった。狭い道をしばらく登っていきソーリオ村には8:50に着いた。
 
教会を中心としたソーリオ村の全景
郵便局前に停車中のポストバス
石畳みの道はバス1台がやっと通れるくらいの広さしかない。バスは教会脇にあるポスト前に止まった。村は壁が薄茶色した石造りの家が多い。村の全景を見るべく、村の路地を辿り裏手の高地に登っていった。集落を抜けると道は広くなり、しばらくアスファルトの道を登っていくと、眼下に教会の塔が目立つ村の全景を見下ろすビューポイントに出た。後方にはピッツ・パディーレとシオーラ山群が頭を並べていた。こちらからは逆光であり、午後の方が光線は良いようだ。天気ははっきりしなく、雲で厚く覆われている。5,6才くらいの女の子2人が、朝の散歩か犬を連れて上がってきた。道路脇にあったベンチに腰をかけ休んでいると、先程の犬が近寄ってきた。頭をなぜてやり女の子らに犬の名前を尋ねる。

村にはホテル、ペンションもある。又来る機会があったら、ここに宿泊し午後のシオーラ山群を眺めたり、近辺を散歩しながら静かな時間を過ごしたい。朝も早いせいなのか、通りで殆ど人に出くわさなかった。バスは10:10,12:10がある。もう少し村に居ようか迷ったが、コルヴァティオ展望台にも行きたかったので、10:10のバスで帰る事にした。
サンモリッツまで続くハイキングコースにて
コルヴァティオ行きのチケットをポストで購入してバスに乗る。空は厚い雲に覆われてきた。これでは展望台へ行っても景色は期待できそうもない。それで、手前のマロヤ村で降りることにした。リコンファームしようと電話ボックスに入る。電話は全てテレフォンカード式であり、ポストでカードを購入しパリへ電話した。番号を回すと、アナウンスが英語、フランス語で聞こえてきた。「2時間前に空港に来て下さい....」という内容であり、特にリコンファームする必要なさそうだ。かなりカードが余ったので、家に電話した。サンモリッツまで歩きで3時間と標識にあったので、ハイキングでもしようと歩き始めた。
マロヤ村の観光案内所前にて、バスを待つ
湖畔沿いの快適な道を辿り約2時間でシロス・マロヤ村に着いた。教会と白壁の家並みが印象的な村だ。ここでバスに乗り、サンモリッツへ戻った。バスの時刻表は、インフォメーションでもポストオフィスでももらえる。もらっておくと非常に便利だ。明日は予定を変更し、アッペンツェールへ行くことにした。早朝出るので、先に宿泊費を払う事に。すると、朝食を抜いているのでと、55SFの所を40SFにしてくれた。言わなきゃ、それで済んだのに良心的なオーナーだ。夕食は、肉屋で購入したチキン、サラダとパンで済ませた。窓から外を見ると、家族でバーベキューをやっており、自分の食事がみじめになった。

2015年9月17日木曜日

ランデックからバス、電車を乗り継いでサンモリッツへ


8/12(水)☀ オーストリアから谷を超えてスイスへ
サンモリッツ湖と街の中心(ドルフ地区)
スイスらしくない近代的なビルが建ち並ぶ
5:20に宿を出る。安の定ドアは閉まっておりルームキーで開け、受付の上にキーをおき外へ出る。駅まではたっぷり30分かかった。6:23の電車に乗りランデックで下車した。駅前は閑散とし、何もない。バスが止まっており確認すると、シュクオール行きのバスである。運転手に確認してから乗車する。2分程で、街の中心広場を抜ける。明るく華やいだ街で、ホテル、レストランもある。ザルツブルクではなく、こっちに泊まった方が良かったかも…。乗車客の殆どはお年寄りだ。バスは渓谷沿いを走り、どんどん高度を上げていき、ナウダー(Nauders)という村に到着。ガストホフもいくつかあり、こじんまりとした村である。ここから下った先がスイスとの国境の街マルチナだ。パスポートも見せる事なくフリーパスだ。シュクオールには定刻の11:40に着。ここで、11:50発の赤地に白の帯が特徴の電車で乗り換え、サンモリッツには13:18に到着した。
駅前は以前来たときとあまり変わってない。まずはホテルを探そうと、坂道を登り観光案内所へ向かう。結構しんどい登りで息がきれる。ここは標高1,830mもあり、空気も薄いせいなのか。 60SF程度のホテルを探してもらうが、街の中心は100SF以上ばかりで、安宿は街から外れないとないと言う。ちょっと遠いが65SFのホテルに決めた。手数料はとられなかった。スイスでの相場は高くても60SF以下と思っており、サンモリッツは他の地域に較べると格段に高い。通りには、かなり高級そうなブテックが並んでいる。明るく開放的な街並で、山の中と言う雰囲気が感じられない。ホテルは湖の反対側のもう1つの街(バート Bad)にある。湖畔沿いの遊歩道を歩き、坂道を登っていくと右手に見えてきた。スポーツホテルと言うだけ合って、スキー客を当て込んで建てられたホテルで、外観は箱型のコンクリート製の建物であまり好みではない。受付は、人の好さそうなおじさん、55SFで4ベッドを使えるファミリー・ルームを用意したという。確かにベッドは4つ、バスもあり、そこそこの部屋である。ただし、山小屋風でないのが少々気にくわない。
サンモリッツ周辺はたくさんの湖水が点在する
静寂のシルヴァプラーノ湖
湖畔沿いを歩きポントレジナ方面へ歩いて行くと、小さな湖に出た。レストランも併設されており、家族連れが楽しそうに過ごしていた。帰りの道を歩いていくと、後ろからポッカポッカとひずめの音がする。若い女性のグループが馬に乗って来る。姿勢が良く、ひじょうに格好好い。乗馬姿に憧れてしますなあ。1人がカーディガンを落としたので、後を追いかえ渡してあげた。サンモリッツ湖を見下ろす所にガストホフがある。レストランに入って食事をしようとしたが、18:30でないと開かないと言う。今18:00で、もう少し待てば良かったのだが、待つのはきらいなのであきらめる事にした。ここは、雰囲気も良し、展望も良し、今度来る機会があるなら、ここに泊まろうと思った。湖に下った道路沿いのホテル・レストランでカルボナーラを食べる。まずくはないが、今一つの味であった。ホテルに戻り、バスに浸かり洗濯をする。何故か体が非常にだるい。外はちょっとした嵐になっている。山は雷が鳴り響き、ときおり稲光りの恐ろしい光が天空を切り裂く。風と強い雨も降って来た。明日の天気は大丈夫だろうか。

2015年9月16日水曜日

ツェルアムゼー経由で音楽の都ザルツブルクへ

ミラベル庭園とホーエン・ザルツブルク城

8/11(火) 
7:50に朝食をとる。ビッフェ形式でセンターテーブルには新鮮なハム、チーズ、ジュース、ゆで卵等がより取りみどりである。十分な食事をとった後、村の中を散歩する。村の外れまで行くと教会を前景にしたグルースグロックナーの頭が見える有名な風景に会える。絵葉書みたいな絶景である。
9:22のバスで、再びフランツ・ヨーゼフス・ヘーエ(2370m)へ向かう。ツェルアムゼー行きのバスは11:45で、1時間ちょっと時間があるので周辺を散歩する事に。重いザックをインフォメーションに荷物を預かってもらい、裏手の岩場で、景色を観ながら時間を潰す。欧羅巴は空気が乾燥している事もあり、本当に真っ青な空である。正面の氷河と白き山々の目の覚めるような風景には、本当に圧倒される。氷河も歩く事ができる、次回来る機会があれば是非歩いてみたい。11:45のバスは定刻にやって来た。峠を超え、2つトンネルを通り抜け、2,300mの峠で5分停車。ここにはレストランもある。3,000m級の山々を見渡すことができるが、頂上は雲に隠れてしまっていた。
ホーム前にツェラー湖が広がる
山岳道路を下り切った街中でバスを乗り換え、ツェルアムゼーには13:40に到着。駅は5分程歩いた所にある。駅のすぐ前はツェラー湖が広がっている「さあて、ランデックまで行こうか、しかしこの街に関するガイドブックは持ってなく泊まる所はあるか不安だし...」と時刻表を見ながら迷った挙げ句、結局ザルツブルクへ行くことにした。ホテルは予約してないので、自由気ままに旅程を変えられる。自由旅行の醍醐味である。とは云うものの、以前ホテルが空いてなく痛い目に遭った事があり善し悪しがある。駅ホームのベンチに座って時刻表を見ていると、インスブルック行きの電車で乗り合わせたおじいさんが、目の前を横切った。声をかけようと思う間もなく、通り過ぎて行ってしまった。14: 24発の電車は各駅停車、クーラーは効かず、ある駅では5分以上も停車し、非常にいらついた。電車は20分も遅れてザルツブルクに到着した。
ミラベル宮殿と庭園
以前来たときとは感じが変わってしまい、観光案内所もどこにあるかわからない。駅員に聞き、探し当てた観光案内所でガストホフを予約してもらう。今は最盛期で街の中心は全て満室で、街から外れた所しか空いてないと言う。バスで10分の所。仕方がないので、そこを予約してもらう。手数料は70sもとられた。地図を見ながら歩き始め、約30分程でガストホフに着く。郊外の静かな所で好いにはいいが、中心から離れているのが難である。
モーツァルト広場でパフォーマンス練習の少女達
18:10に旧市街へ行く。日本人が結構目につく。モーツァルト広場では、女の子らがストリート・パフーォマンスをやっていた。しばらく見物していた後、城へ行く。時間が遅かったせいか、料金所には誰もいなくフリーパス。城からは旧市街を一望でき絶景である。城のカフェに入り、スプライトを頼み日記を書き時間を過ごした。
城から下り、旧市街の「ゲトライデガッセ」通りを散歩した。種々な看板があり、それらを見て歩くだけでも楽しくなる。夕食はテイクアウトの店でサーモン・サンドイッチを買いホテルで食べる事にした。
城からザルツブルク市街を見下ろす
後方の山は、ガイスベルク

2015年9月9日水曜日

グロスグロックナー山麓トレッキング〜ハイリンゲンブルート

8/10(月) ポストバスでハイリンゲンブルートへ
グロースグロックナーを望むハイリンゲンブルート村
7:10に朝食をとる。テーブルの上にはハム、チーズ、ジュース、ヨーグルト等が自由にとれるように置いてある。コーヒーを頼みゆっくりと食事を楽しむ。白パンはうまいが、黒パンは口にあまり合わなかった。
駅前のポストオフィスで時刻表をもらい、8:22発のハイリンゲンブルート行きに乗る。車内は老人が多い。バスは、街の東側にある谷を北上、山を越え、谷間の道を走っていく。両側からは山が迫る景色の良い道を約1時間走り、ハイリンゲンブルート(1300m)に到着。まずはホテル探し、バス停前のポストホテルは、ディナー付きで680Sと安かったので、ここに泊まる事にした。未だ時間が早かったが部屋に入る事ができた。ちょうど角の部屋で、村の広場を見下ろす側とグロスグロックナー方面を遠望できる2つのテラス付きだ。欄干には花が一杯飾られている。とても居心地の良さそうな部屋で大満足である。
宿泊したホテル・ポスト
部屋は2Fの左端の絶景のロケーション
村の中心広場にある水晶の原石の噴水がある
ハイリゲンブルートは、聖血伝説の残る村。ビザンチン帝国のデンマーク人騎士が「聖なるキリストの血」を持って故郷に帰る途中、この地で雪崩にあい遭難。村人は非常に悲しみ、彼と聖なる血を収めた教会堂をこの地に建てたとの事。その由来から、聖なる血(ハイリンゲンブルート)と名付けられたと云う。村のシンボル「ヴィンツェンツ教会」と一面アルプが続く谷間の村、その奥に聳えるグロスグロックナーは実に絵になる。早く着いたので、明日のトレッキングを今日に変更する事にした。フロントでスーパーの場所を聞くと、下の村にあると教えてくれた。中心広場から下ったスーパーで食料の買い出しをする。トレッキング準備を済ませ、11:08発のバスに乗り込む。
お茶目な姉と金髪が可愛い妹
フランツヨーゼフスヘーエ展望台の岩場にて




フランツヨーゼフスヘーエ展望台からハイリンゲンブルートまでのトレッキング
(詳細は、下記リンク先)

シャワーを浴び、汗を流しさっぱりする。下着類は汗でびっしょりであった。トレッキングも済ませてしまったので、明日はどうしよう。インスブルック辺りから計画変更を余儀なくしている。これが自由旅行の醍醐味と云ってしまえばそれまでであるが。取り合えず、ツェルアムゼーまで出てから考えよう。19時過ぎにレストランへ行く。今夜のディナーのメニューは以下の通りのフルコースである。飲み物は、デキャンタ・ワインを頼む。
Cream of Potato soup with basil
 ポテトスープ、まあまあの味
Broccoli with cream of ham
 ハム入りのホワイトソースにブロッコリー添え、これが一番うまかった
Beef stew,Stroganoff with noodles
 ヌードル付きのビーフストロガノフ、まあままの味
Pancake with chocolate and nuts
 チョコレートソースのパンケーキ、あまりうまくない

ポストオフィスから、パリ・オフィスにリコンファームの国際電話をする。最初にフランス語、その後で英語のアナウンスがある。「2時間前にカウンタに来て下さい」との録音メーセッジが流れ、係の応答はなし。リコンファームは必要ないようで一安心、ホテルに戻る。トレッキングで歩き疲れたので、早目に就寝。

Hotel Post   680S (with diner and Breakfast)

2015年9月8日火曜日

リエンツは、夏祭りで大賑わい

8/9(日)☀ 日曜はバスの運休日? 待てど暮れせどバスはやって来ず
リエンツ夏祭りにて
4:30に起きトイレに行くためドアを開けると、モーニングセットが置いてあった。残念ながらコーヒーは冷めていたが、心配りがありがたかった。7:04発の電車に乗り、ブレンナー峠を越えリエンツには10:21に到着。途中のイタリアとオーストリアとの境界の村は、ドロミテ・アルプスを正面に見ることが出来、結構良い所で印象に残った。駅に隣接しバスターミナルがあったが、日曜日で休みであった。駅前ロータリーのバス発着所でハイリンゲンブルート行きのバスの時刻を調べる。次は11:25発、時間がたっぷりあるので街の方へ行ってみる事に。5分程歩くと、街の中心のハウプト広場に出た。明るく華やかな広場には、たくさんの屋台が出ており、大勢の人で賑わっていた。
イタリア的な明るさを感じる街の中心広場
ハウプトプラッツ
アルプス地方ではバンド行進が大好き
先頭を行く酒樽娘の後にバンドが続く


祭りでもあるのかな。広場を横切った先へ行くと、向こうから民俗衣装を着飾った男女が楽器を演奏しながら整然と歩いて来た。1グループだけと思っていたら、次から次とやってくる。やっぱり夏祭りのようである。先頭にはアルプス地方の民族衣装に身を固めた2人の女性、肩から小さい樽を抱えている。パンツェントレーゲリン(酒樽娘)と云い、樽の中には伝統の薬草酒が入っている。ときどき、バンドのメンバーに薬草酒を飲ませ息を奮い立たせると云う。ドイツのガルミュシュ・パルテンキルヒェンでも観た事はあるが、アルプスのどんな街、村にもバンドがあり、祭りのときには民族衣装に身を固め、音楽を演奏しながら街中を颯爽と行進し、祭りに花を添えている。祭りを見ていこうかなとの思いが頭を過ったが、計画通りハイリンゲンブルートへ行こうと駅へ戻る。先程通過した通りにはゲートがあり、入場料(60S)払わないと通れない。仕方なく60Sを支払うと、カラーテープを腕に巻いてくれた。広場の反対側にもゲートがあったが、テープを見せると通してくれた。駅前のバスターミナルでバスを待っていたが、時間になっても一向に来る気配がない。「日曜はバスが走ってないのかな…」と段々不安になる。当たりは誰もいなく確認する術はないが、やはり日曜は運休日。バスを諦め、ここで宿泊しようと腹を括りホテルを探し始めた。広場の裏手の橋を渡った所にガストホフがあり、空いていたのでここに泊まる事にした。部屋は広々とし、かつ清潔で気に行った。
リフトで展望台に上がり、街の南側に聳えるリエンツ・ドロミテの展望を楽しむ
ブルック城への入り口
現在は東チロル郷土博物館
リエンツ・ドロミテの大展望
ガイドブックで調べると、1Km先にお城とリフト乗り場があったので、そっちへ行って見ることにした。雪解け水で白く濁ったイーゼル川沿いを15分程歩き、坂道を登って行くとブルック城に到着。中はミュージアムになっていて、入場料50s必要。係の女性に、「写真は外はOK、中はNG」と念をおされた。階段を登って城の中へ入る。タペストリーや中世の武具等を展示されているが、特に印象的なものはなかった。すばやく見て回り城の外に出た。坂道を下った右手にリフト乗り場で、中間点で乗り換え、2,000mの展望Sten Alemへ登る。緑のアルプに囲まれた展望台からは、リエンツ・ドロミテの山々を真近で見る事ができ、大感激。3,000mには届かないが、姿形は良くりっぱな山々である。歩いて下山しようと途中まで下ったが、標識が整備されてなくこの道で良いのか不安になり、結局リフトで下る事にした。
ロープ登りに果敢に挑戦する少女

一旦ホテルに戻りシャワーを浴び、洗濯をし、少し昼寝をする。
夕方になると、祭りは最高潮。広場に行くと、どこから湧いたかと思うような人の渦。ステージでは大道芸人が芸を披露中、それを見ようと大勢の人の輪ができている。
とぼけた奴とちょっと陽気な奴、それに裏方の3人組だ。中々笑わせてくれるが、芸はしっかりしている。隣では、子供達がかかんにロープ登りに挑戦している。うまく頂上を極める子もいるが、途中で力つきガイドがサポートし途中で引き返す子もいる。女の子も果敢に挑戦している。大道芸に見とれていると肩をたたかれた。振り返ると、「ほらほらあれを見なよ」と指を指される方向を見ると、のっぽの人形をかぶった4人連れが現れていた。人形の首が「びよーん」と自由自在に伸び縮みでき、かなり受けている。通りのあちこちには屋台がでており、ビールを飲んだりソーセージをほうばり、みな楽しそうだ。22:30には花火が打ち上げられた。橋の上から見上げる花火はとてもきれいだ。日本の花火は「ヒュルヒュル…ドーン」だが、こちらはいきなり「ドーン」である。大きな音は驚く。23時を過ぎても野外音楽の音が聞こえていた。

2015年8月31日月曜日

リエンツ行きをあきらめ、インスブルックで宿を取る

旧市街のシンボルの黄金の小屋根
皇弟マキシミリアンⅠ世が騎士の馬上試合を
観戦するため改築

8/8(土)☀ 
7:05発の電車に乗る。ヴェローナでインスブルック行きに乗り換えフォルツッサで下車する。山中の駅であり駅周辺には殆ど建物はなく、少々さみしい所である。リエンツ方面行きローカル電車に乗る。この路線は単線、のぞかな田舎の村々を走りドビアーコに到着。未だ時間が早いので、ここで途中下車。この街はドロミテ・アルプスのベースの街である。3年前ここに宿泊しドロミテ・アルプスへ行ったことがある。駅前は何もなく閑散とした無人駅である。
ドビアーコの風景
駅を出て右に道を辿るとメイン通りにぶつかる。右手の踏み切りを渡り両側のホテル、レストランを見ながら、しばらく歩くと、タマネギ状の塔を持った教会のある街の中心に出る。この辺りで昼食を食べようとしたが、ちょうどフェスタの時間(12:0015:00まで)で殆どのお店が閉っていた。駅の近くのバーが開いていたので、そこで軽い昼食をとった。時間になったので駅に行きリエンツ行きの電車を待つ。しばらくすると14:30の電車が入ってきた。SL風の電車で、「え、これに乗るのか、良い感じだなあ」なんて思っていたら、電車は止まらずそのまます通りしてしまった。近くにいる人に尋ねるが、今一つはっきりしない。時刻表で確認してみると、14:30の電車はどうも土日は止まらないようである。再びリエンツ方面の電車が入線してきたが、次ぎの駅止まり。「さあどうしようか、さらに電車を待つとなると遅くなるし、初めての所で泊まる所が心配だし...」てな事を考えていると、インスブルック行きの電車が入ってきた。インスブルックだと街は大きいし、遅くついてもホテルは取れるだろうと思い、予定を大幅に変更しインスブルックに行くことにした。
マリア・テレジア通りを真っ直ぐ進むと旧市街
後方の山はノルトケッテ 
かなりショックで相当落ち込むは、おまけに電車はクーラーはきかず暑くてまいってしまった。フォルツッサから乗ってきたおじいさんが、僕の前の席に座り、話しかけてきた。日本には2度行った事があり、現在はインスブルックに住んでいると言う。どこへ行くのかと聞かれたので、実はしかじかてな調子で話をする。おじいさんとおしゃべりをする事により、気分はだいぶ晴れてきた。
イン橋を渡った反対側から見た旧市街
ブレンナー峠を超えオーストリアに入り、インスブルックには17:00に到着した。適当な安ホテルを探し始める。2つ星で、バスなし400シリング、部屋もきれいであったので、ここに泊まる事にした。明日は早いので先にホテル代の支払いを済ます。「朝食は部屋に運びましょうか」と聞かれたのでお願いした。
取り合えず、旧市街の方へ行ってみる。狭い通りの両側には、土産物屋、レストランが軒を連ねており、観光客で一杯である。当てもなくイン河を渡る。ロープウェイ乗り場の看板があったので、そちらの方へ行ってみる。狭い路地を上がって行くと教会があり、そこから坂道を上って行ったが中々現れなかったので、途中で引き返す事にした。明日は、リエンツからハイリンゲンブルートまで一気に行く予定であり、早起きをしなければと早めに寝た。

2015年8月26日水曜日

天を突く大迫力のドゥオーモに度肝を抜かれる

ミラノのシンボル ドゥオーモ(大聖堂)
135本の尖塔、2245体の彫刻、気が遠くなる程の数

8/6水)香港を経由してパリへ
成田空港は人でごった返しの状態であった。HISカウンタでチケットを受け取りチェックインを済ます。香港からの便が遅れ、30分遅れの18:30に出発した。香港までは3時間30分の飛行で定刻21:35に着。空港は新設されていて、昔のように市街の真上を飛んでない。安全性が高まったが、市街地の間近をスレスレに飛ぶスリル感、景色は犠牲になってしまっている。
8/7(木) 翌朝の朝6:30、パリ・シャルルドゴール空港に到着
 大勢の乗客が行き交うパリ・リヨン駅
イタリア、南フランス方面へのTGV発着地
入国はパスポートを見せるだけ、何も聞かれなくフリーパスである。荷物受け取りのゲート番号が表示されている。荷物を引き取り、電車乗り場の標識に従って歩いて行くとRER乗り場があった。RERはフランス国鉄(SNCF)が運営する高速郊外鉄道、以前は乗り入れていなかったが、便利になったもんだ。ところがチケットをどこで買うのかわからず、付近をうろうろした。何の事はない、一旦外に出ないとチケットカウンタがなかったのである。
RERでNord駅、地下鉄に乗り換えリヨン駅へ出る。ユーロパスのバリディティ・スタンプを押してもらい、11:12発ミラノ行きTGVの座席予約をする。11:12発のTGVはかなり混んでおり、4人がけの座席は満席で少々窮屈である。車窓風景は穀倉地帯が延々と続く、フランスは農業国だなと思った。イタリアとの国境近くで山中に入る。
全長158m、幅93m、高さが108m、世界最大のゴシック建築
6時間30分かかり、ようやくミラノに到着。駅構内は人でごった返しの状態でうんざりする。前も泊まった駅前のホテルにチェックイン。前よりは2万リラ値上がりしていた。 バスに浸かり体を休めた後、ドゥオーモ(大聖堂)を見に行く。19:30になっているが、外はまだまだ明るい。ちょうどドゥーモ正面に日が当り、写真撮影にはもってこいである。それにしてもでかい、たくさんの尖塔が天を突くかのように聳え立っている。声が出ない程、圧倒される。近くで見上げると、精巧な彫刻があちこちにある。権力の象徴として作られたのか?500年の歳月をかけ、良く造ったものだと呆れるや感心するやである。これだけでも見れ大満足である。
夕食はホテルの傍にあったレストランに入った。バイキング形式で自由に選べる。さんざん迷った挙げ句ピザを頼んだ。目の前にはいくつかの具が並べられ、自分の好みの具を頼めば、それを加えて焼いてくれる仕組みだ。見た目はうまそうに見えたが、味は粉ぽっくてうまくなかった。明日はフィレンツェへ行く予定であったが、ミラノの騒がしさに嫌気がさした。やはり都会は性に合わない。予定を繰り上げてリエンツへ向かう事にした。

オーストリアアルプスとスイスの村~プロローグ

夏は、欧羅巴アルプスのトレッキングと決めている。今回はオーストリア・アルプスの最高峰グロスグロックナー地域のトレッキングを楽しむ。さらに、足を伸ばし新田次郎の「アルプスの谷・アルプスの村」に描かれているソーリオ村を訪ねる。どちらも以前から行きたいと思っていた地、期待に胸ときめく。旅はパリ、ミラノから始まりオーストリア・アルプスの山懐へ入っていく....
コースマップ】

【コース日程】1998.8.6-8.17
8/6  (木)成田(18:00)→香港(21:30 23:35)→パリ・シャルルドゴール空港(6:15+1)
8/7  (金)パリ・リヨン(11:12)→ミラノ(17:55)
8/8  (土)ミラノ(7:05)→ヴェローナ(8:30 8:58)→フォルテッサ(11:10 11:33)→ドビアーコ(12:39 14:30)→インスブルック(17:00)
8/9  (日)インスブルック(7:07)→リエンツ(10:21)
8/10(月)リエンツ(8:20)→ハイリンゲンブルート(11:25)   
  フランツ•ヨーゼフスヘーエ(12:25)~サンダー湖(13:25)~ハイリンゲンブルート(17:05)
8/11(火)ハイリンゲンブルート(9:22)→フランツ•ヨーゼフスヘーエ(10:30 11:45)
    →ツェルアムゼー(13:40 14:24)→ザルツブルク(16:40)
8/12(水)ザルツブルク(6:23)→ランデック(9:32 9:40)→シュクオール(11:40 12:50)
    →サンモリッツ(14:18)
8/13(木)サンモリッツ(7:38)→ソーリオ(8:50 11:05)
       →マロヤ(11:30 12:30)~シルスマリア(14:35 15:20)→サンモリッツ
8/14(金)サンモリッツ(8:00)→サンクト•ガートン(12:0312:07)→ アッペンツール(13:50)
8/15(土)アッペンツール(6:01)→ゴーサウ(7:11)→ローザンヌ(9:35 16:24)
              →パリリヨン駅(16:26)
8/16(日)パリ(13:50) →香港(7:30 9:55)→成田(14:55+1)

【通貨】Lira=0.085円、Shilling=10円、SF=97
【航空会社】キャセイ航空  HIS
【ホテル】予約なし、現地で探す
【鉄道パス】ユーレイルパス 5/ 1
【旅行保険】損保ジャパン
【旅の目的】
 1)オーストリア・アルプスの最高峰グロスグロックナー地域のトレッキング
 2)スイス・エンガディン地方の小さな村々を歩く 
【旅の情報】
 1)地球の歩き方 スイス オーストリア
 2)オーストリア・ハイキング案内 山と渓谷社 小口和利
 3)アルプスの谷・アルプスの村 新田次郎

2015年8月23日日曜日

クロアチア・スロヴェニア紀行〜エピローグ

訪れた街の印象
ザグレブ ★★★★
旅の起点となり、今回の旅では3回訪問。新旧の街並がうまく溶合った雰囲気の良い街である。中央駅からの景観には驚かされる。2つの大通りが旧市街に向けて平行して走り、両脇には19世紀の立派な建物がひしめく。真ん中には良く整備された緑地、季節の花々が実に美しい。旧市街へ散歩がてら歩いて行くのが実に楽しくなる。旧市街は丘の上に広がっており、狭い横道は小さな広場、美しいモザイクの屋根の聖マルコ教会等、見所が一杯だ。街自体はそれ程広くはないので、半日もあれば主要な所は見て回れる。大都会とは思えない程、緑豊かでお気に入りの街の1つとなった。
ドブロヴェニク ★★★★
ずっと訪れたかった憧れの地、期待にたがわず素晴らしかった。特に、飛行機から見た真っ青なアドリア海とドブロヴェニク旧市街の絶景は圧巻である。旧市街の街並はイタリア風、奇麗であるが見慣れた風景だ。スルジ山へ向かった中腹からの旧市街の景色は、今でも目に浮かぶ。アドリア海に浮かぶオレンジ色の街並が一望、海に浮かぶ要塞都市、絶対にお奨めである(本当はスルジ山からが良いのだが、戦争の爪痕でロープウェイが動いていなかった)。
スプリット ★★★★
ドブロヴェニクからバスで往復9時間の長旅、移動時間で疲れてしまったが、想像以上に奇麗な街で感激。ローマ皇帝の宮殿だった事もあり、イタリアの街並に似ている。古代ローマの遺跡や石畳の路地を歩き回り、旧市街の外にある青空市場を覗き、 海外線を走るプロムナードをそぞろ歩きが実に楽しかった。
プリトヴィッツェ湖沼群国立公園 ★★★★
山間から流れ出る川とせき止められて出来た大小の滝、まるで棚田のような景観は、期待に違わぬ美しさであった。その中を走る木道散歩は、間近で滝を見る事ができ楽しい。水の色の透明度が半端でない。1日目は上流、2日目は下流の滝を歩いたが、迫力は下流の方が良い。上流は日本の風景に似ており、軽井沢の白糸の滝を思い出してしまった。崖の上に登ったエメラルドグリーンの湖と川、地肌の白い石灰岩の崖、多数の滝を蛇行する木道の景色は息をのむ程であった。
リュブリャーノ ★★
中継地として訪れた街で、特に期待はしていなかった。天気が悪く、ホテルも空調音がうるさく、良いイメージを残さなかった。
ブレッド湖 ★★★★
今回で2回目の訪問。前回は宿泊しなかった。今回はゆっくり観光しようと湖畔ホテルに宿泊。しかし、無情にも天気は最悪、どしゃぶりの雨。それでも、ブレッド城から見下ろすブレッド湖の幻想的な眺めは、いつまで見ていても見飽きない程素晴らしかった。雨降る中を、歩いて登っただけの甲斐はある。ブレッド湖へのアクセスは、山間鉄道のブレッド湖駅から入るのがお奨めだ。又、訪れたい街である。反対側の山の中腹からの景観、湖の教会にも行ってみたい…。
シャコフヤ・ロカ ★★★★
期待した通りの街、こういう小さな田舎街は性に合っている。街の中を歩いたり、緑に周囲を囲まれ、真ん中を走る川沿いの遊歩道をそぞろ歩きが実に楽しかった。観光ずれしてなく、静かな時を過ごすにはうってつけである。

2015年8月22日土曜日

成田で荷物が出てこない!!

5/8(土) 旅の最終日
スロヴェニアのお土産 ガラス製品と羽目板
7:00に起床、ぐっすり眠れた。窓を開けると、心地良い涼風と小鳥の鳴き声が聴こえてくる、何とも長閑な早朝である。7:40、中庭が見える席でシンプルな朝食を取る。飛行機は12:40、未だ十分時間があるが、曇り空で外出する気にならず部屋で日記を書いて過ごす。
今回の旅、前半は天気が良かったが、後半は天気が安定せず曇り、雨の日が多かった。特に、期待していたブレッド湖では土砂降りの雨でがっかりだった。雨も風情があって良いなんて云う人もいるが、アウトドア派の小生はギラギラ照りつける太陽と真っ青な青空の方が望ましい。それにしても、クロアチアからスロヴェニアへの入国の厳しさは凄かった。日本人でも、パスポートが偽者なのか虫眼鏡チェック、その後ヘッドセットのマイクでセンターへ連絡し、これ程の厳重な検査は初めてでドキドキしてしまった。EU圏への不労労働者が多いのだろう、2人電車から降ろされ連行されたには本当に驚いた(クロアチアは最近、EU圏に加盟したが、今も厳しいチェック続いているのであろうか)。
パリを経由して日本へ
9:40,チェックアウトしバス・ステーションまで歩いて行く。ちょうど、10時のバスが出る所であった。エアーフランスのチェックイン・カウンタは長蛇の列、毎度の事ながらうんざりする。パリ・シャルルドゴール空港はハブ空港だけあって、飛んでもなく広い。ザグレブからの飛行機は定刻14:55,T2に降り立った。外で待つバスでターミナルに行き、そこから巡回バスでT1へ行くまで1時間近くかかってしまった。パリではなく、フランクフルトかミュンヘン経由にすれば良かった。成田への飛行は順調で予定通りに到着。
さあ、荷物を受け取ってさっさと帰ろう。ところが、いつまで待っても荷物が出て来ない。気がつくと辺りには誰もいなくなっている。まったく、ANAはこれで2度目である。前回のようにトランジット時間に余裕がなかった訳でないのに、どこでどうミスったのだろう。まあ、往路でなかった点が気休めであるが。気を取り直し、Baggege Clameカウンタで手続きする。
*1週間後、ANAから電話連絡は入り荷物を送付して頂いた